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ネガティブだった高校時代
理系大学生ブロガーのかいぼーです。大学生でいるのも残すところ3ヶ月ほどになりました。もう大学生ブロガーとも名乗れなくなりますね…寂しいです。
そんなもうすぐ終わりを迎える自分の大学生活を振り返ると、友人から「ある質問」をよく受けていたことに気付きました。特に意識したことは無かったのですが、就活や大学院試験などの人生の転機を迎えた際に何度か聞かれた質問です。
それは「どうしたらネガティブな自分から脱却できるのか?」というものでした。
自分自身では決してポジティブな人間では無いと思っているのですが、周りの人からはかなりポジティブな性格の持ち主だと認識されているようです。不思議です。高校生の頃は野球部で坊主頭だったこともあり、段々と大人っぽく垢抜けていく周りを見て「劣等感」のようなもの感じて生活していました。(もちろんそんな負の感情は周りには隠していましたが。)そこそこ友達がいて普通の高校生だったと思うのですが、当時は色々と周囲の目を気にしすぎていたのかもしれません。
そんな自分も高校を卒業して大学に入学すると、友人に恵まれたこともあってとても充実した日々を過ごすことができました。そのおかげで様々な面で変化があったのでしょう。確かに高校時代ほど周囲の目を気にすることは無くなりましたし、自分自身のことを受け入れて行動できているように感じます。その結果として上記のように「ネガティブな自分から脱却する方法」を問われるようになったかもしれません。
正直友人に上記のような質問をされた時は「そんなの分からないよ(笑)」のひと言で済ませてしまったのですが、ネガティブな頃の自分と今の自分の両方を経験しているからこそ、その経験をもとにしっかり考えてみたいと思いました。
前置きが長くなりましたが、少しでも読んでくださっている画面の前のあなたの助けになれるよう一生懸命書いていきたいと思います。
自分をネガティブにしている原因
「ネガティブな自分からの脱却方法」を考える上でまず最初にするべきこととして、「ネガティブな自分を生み出している原因が何なのか?」という問いに答えることが挙げられます。何事も原因を突き止めないことには解決できないのですからね!高校時代のネガティブでマイナス思考な自分と、比較的ポジティブらしい今の自分を比べると明らかに違うことがあります。
それは「自分に自信があるのかどうか」という点です。そんなの当たり前だろ。と思った方もいるかもしれませんが、その当たり前を掘り下げていくのがこの記事の役割かな、と思います。この主張からすると今の私自身は自分に自信がある、ということになりますが、必ずしも誰かより優れた能力があったり、外見やセンスが良い訳ではありません。そもそも高校時代はネガティブだったのだから当たり前です。
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ではどうして今自分に自信を持てているのかというと、それは「感情を自分起点にしたこと」が1番の理由だと思います。高校生の頃は周囲の人を見て自分には無い魅力を持っている友人、クラスメイトを羨ましいと思っていました。どうして自分はこんななんだろう。そんな風に考えていました。でも大学生になって日記を書くようになったこともあり自分の感情と向き合うことが多くなりました。そうすると私自身が悩んでいることが全て「他人起点」でスタートしていることに気づきました。
「周りにお洒落だと思われたい」
「友人に比べて自分は垢抜けていない」
「みんなを笑わせるような面白さが自分にはない」
などなど。
他人と比べて自分がどうなのか?他人から自分がどう思われているのか?そんなことばかりを気にしていて「自分がどうしたいのか?」には全く考えが及んでいなかったのです。これらのネガティブな考え方を自分起点に変えることで悩みが「具体的な行動」に繋がるようになります。つまり知らず知らずのうに抱いていた被害者意識のようなものを変化させたのです。
「周りにお洒落だと思われたい」
→「お洒落な印象を与えるには自分はどうしたらいいのか?」
「友人に比べて自分は垢抜けていない」
→「垢抜けている人になるために自分は何から始めるべきなのか?」
「みんなを笑わせるような面白さが自分にはない」
→「そもそも自分は皆を笑わせたいのか?面白い友人の話を引き出す役割がしたいような…」
このような形で思考を変化させることで、実はこれまで何も行動していなかったということに気付けたのです。自分をネガティブだと思っていた頃の自分は周りと自分を比較して、劣っている部分だけに注目して自分を諦めてしまっていたのです。羨ましいと思うのなら何か行動を起こせば良いですし、羨ましくても自分がそうなりたいと思わないのであれば他人と同じ自分を目指す必要はないのです。自分が羨んでいた彼らが持っていないような隠れた魅力が自分にもきっとあるので。それなのに他人ばかり見て自分主導で動いていないから、自分を押し殺してしまっているから自分の魅力に気が付けなかったのです。色々行動し始めてみれば、そんな魅力にも気付けるはずです。
ネガティブは悪いことなのか
ここまで自分がどう変化したのかを考えてきましたが、最後にもう一つだけ感じたことを共有させてください。ネガティブだった頃の自分から変化したのであろう今現在の私は、「そもそもネガティブって悪いことなのかな?」と感じるようになってきたという話です。
ここまでも書いてきたように他人と比較することによって、ネガティブな自分を生み出していたのですが、今となってはそのネガティブだった自分も魅力だったのでは?と考えています。人間の感情や性格に名前をつけたのもまた人間なわけですが、「ネガティブ」という名前を付けてしまっているが故にマイナスのイメージで自分の性格を捉えてしまっている。とは考えられないでしょうか?要するに「ネガティブ」ではなくて「思慮深い」や「慎重派」といった名前をつければ、この性格も悪くないのでは?と思えるという話です。
そもそも周りの人と比較して自分が劣っているように感じるということは、周りの人の魅力を見つけるのが得意な人間なのかもしれません。くよくよ考えてしまう、というのも同じ失敗を起こさないように深く考えて行動できる人間だという証拠かもしれません。
「ネガティブ」な人が「ネガティブ」である所以は、自分を「ネガティブ」だと思い込んでいることにあるのではないでしょうか。自分の魅力をネガティブな要素として片付けてしまうことによって、その魅力を極力他人に見つからないように行動してしまい、周りの人はもちろん、自分自身も自分の良さを認識できない状態に陥っているのです。自分がこれまでネガティブだと思ってきた面を、それもまた魅力だと考えることで、人前で堂々と振る舞ったり、積極的に行動できるようになって、周囲からポジティブな人だと思われるようになっていくのかもしれません。
人間が根本的に性格を大きく変えるのは不可能に近いと思いますし、今の自分を受け入れて「自分のしたいように行動する」ことができれば、その頃にはネガティブだと思っていた自分が「ネガティブではなかった」ということに気が付けるのではないでしょうか。
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高校生の頃は周りの目を気にして生きてしまっていましたが、大学生になって生きやすくなりました。
— かいぼーの備忘録🐢 (@Kaibo_blog) 2020年12月12日
なかなか「自分らしく」生きるということが難しい現代ですが、自分の性格に「ネガティブ」なんていう名前をつけてしまうのはもったいないかもしれません。#はてなブログ
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